ごあいさつ

代表取締役社長 古川國久

1992年、当社の前身であるグリーンホスピタルサプライは、「医療」「保健」「介護」の分野に特化した企業としてスタートしました。My Companyではなく、Your Companyを目指そうと決め、社員皆で共有する理念として『S.H.I.P.』を掲げました。この『S.H.I.P.』は、Sincere(誠実な心)、Humanity(「情」の心)、Innovation(革新者の気概)、PartnerSHIP(パートナーシップ精神)の頭文字と、いつまでも帆に風を受けて航海を続ける船(ship)でありたい、という気持ちに由来しています。この理念を共有し、理想的なYour Companyを築き上げる。これが企業としてのビジョンであり、社員一人ひとりのアイデンティティでもあるのです。社会環境の変化は激しいですが、大切なものはいつも普遍であると思います。その大切なものとは、互いに信頼し、協力し合うこと、そして違いを尊重し、共鳴しつつ、伸びていくことだと私は考えます。
この度、2009年10月1日付で変化する経営環境に対応し、グループ事業の強化とシナジー効果の最大化を目指し、シップヘルスケアホールディングス株式会社を立ち上げ、持株会社体制へと移行いたしました。
この経営体制の移行におきましても、創業からの理念は不変であり、今後とも『S.H.I.P.』の理念を掲げてまいります。
以下、時代を超えて、大切なものを表す言葉(詩)を記し、ご挨拶とさせていただきます。

2009年10月1日

私の好きな言葉

至誠側但というSHIPからS.H.I.P.へ

S.H.I.P

まごごろ(至誠)があれば、やさしく(仁)なれます。
そして、目上にはまことを尽くし、目下にはいつくしみをもって接するのです。
心の持ち方をこうすれば、物事をうまく運ぶことができると言います。
つまり、この気持ちで生きることが、人としての基本であり、正しい道なのです。

上記の言葉は幕末に備中松山藩の財政危機を救い、藩政改革を成し遂げた山田方谷が河井継之助に贈った言葉である。
財政危機を救い、藩政改革を成就させたものは何か。それは、なによりも経済がわかっていたということだ。
また、領民(国民)を富ませることが、国を富ませ、活力を生むという哲学があったから。
さらに陽明学を誠意中心主義に結晶させ、誠意を我が道と思い定めて一筋に貫いた。それである。 当社も平成4年の創業より、「医療」「保健」「介護」における分野でのビジネスを通じて、数多くの関係各位とお取引きいただき、今日の私たちがあります。その感謝の念を忘れることのないよう、山田方谷が「誠意中心主義」という考え方を基盤としたように、私たちも個々人が自分の考えをしっかりと持ち、お客さまには誠意を持って奉仕し、社会の基盤をしっかり見直し、それを再認識して発展させていきたいと考えております。

※山田方谷
山田方谷は幕末、15代徳川慶喜将軍の主席老中である備中松山藩主板倉勝静を助けながら、「貧乏板倉(備中松山藩)」と言われた藩をわずか8年で、財政再建を行うとともに、教育改革、軍政改革等を行った、政治家・実践派の財政家である。また、板倉勝静が主席老中になると、江戸へ出て、第15代徳川慶喜将軍を助け、「大政奉還」の上奏分などを起草した江戸幕府の政治顧問であった。また、一方で、大正天皇の侍講である三島中洲、「峠」(司馬遼太郎著)の主人公である河井継之助、宮中顧問官で明治三大文宗の一人である漢文学の泰斗川田甕江ら優れた人材を育てた教育者であり、幕末期を代表する陽明学者であった。(野島透著「山田方谷に学ぶ財政改革」より)
※河井継之助
「峠」(司馬遼太郎著)の主人公である河井継之助は江戸留学や山田方谷の下で陽明学を学んだのも、幕末動乱期、長岡藩をどうもっていくか探るためであり、藩を幕府と離れた一個の文化的、経済的な独立組織と考え、ヨーロッパの公国のように仕立て変えようとした。ただ困ったことは、時代の方が急変してしまったのである。にわかに薩長が新時代の旗手になり、西日本の諸藩の力を背景に、長岡藩に屈従をせまった。その勢力が小千谷に出向き、西軍総監岩村精一郎に会い、猶予を請うたが、容れられなかった。この会談の決裂により、東軍として参戦し、督戦中、流れ弾にあたり、負傷し、42歳で生涯をとじた。(司馬遼太郎著「峠」より)